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執筆者の写真takanori nishijima

なぜ蕎麦を育てるのか?

気が狂った弟


「一緒に蕎麦作る?」

と言うと、みんなぽかーんとするんです。


それもそのはず、私は東京でITの会社を経営しながら自社Webサービスや企業向けのITコンサル、Webサイトを提供する仕事を生業にしています。


その私が蕎麦作り、農業のことも作物のことも、蕎麦についてもよくわかっていないのですから、みんななぜ蕎麦なんか作り始めた?と。


私も蕎麦なんか作るなんて思ってもみませんでした。最初はそんな予定ではなかったのです。でもある日突然、弟が蕎麦を自宅のプランターで育て始めたのです。


「兄貴、蕎麦はすごいわ。これで日本変えれるで。」


興奮して前のめりで話す弟に私は気でも狂ってるのかと思いました。半信半疑でしたが半ば強引に蕎麦作りに巻き込まれていくうちに私自身も蕎麦の魅力に取りつかれていくのです。




レベゼン徳島


私たち兄弟は徳島(阿波)で生まれ育ちました。そして私は東京、弟は神戸で就職するのです。分かってはいましたが、上京して徳島の認知度の低さには驚きました。


それもそのはず、徳島では人気漫画雑誌「ジャンプ」の発売日は遅れますし、カウントダウンTVは1週間遅れ、その他地域は放送しませんには必ず入るといった、同じ日本でも時間軸が異なるのです。


むしろ徳島時間(遅れていること)が当たり前でしたので当時は未来に来た感覚でしたがレベゼン徳島であることを恥じることはありませんでした。

なぜなら東京にいる徳島人って少ないんですよね。なので珍しい=差別化となり自分自身のブランディングとして利用できたからです。


そして、、、数年もいれば都会の色に染まります。

すっかり徳島のことは忘れて覚えたての標準語を使って東京の成功をつかみ取るためにがむしゃらになるんですね。今思ってもこの時期とても楽しかったし大切な時間でした。


間違いない時間でした。


もちろんずっと忘れてたわけじゃなかったんです。

もう10年以上前になりますけど、さだまさしの小説から映画化された「眉山」というのがあるんですね。もし見てない人がいたらぜひ見てください。


映画館で観たのですがオープニング見ただけで嗚咽が出ましたからね。

隣に座ってた彼女が


「きもっ」


って言ってましたが、前席の若い男の子2人も同じタイミングで泣いてたので徳島人なのでしょう。鑑賞後、熱い抱擁を交わしたことは言うまでもありません。


正直この感情がよく分からなかったのです。東京での生活が忙しくてそれどころじゃなかった・・・と言い訳してたのだと思います。



でも、数年前に目を背けることはできない問題がやってくるのです。

今まで逃げてきたことに向き合う必要が出てきました。



パラレルワールド


きっかけは祖父母の死でした。


お葬式用の写真を探しているとき、祖父母のリビングに飾られていた家族写真に私は写っていませんでした。

それもそのはず、私は滅多に帰省していなかったですし東京での生活がありました。

それと同時に本当に当たり前の話なのですが、徳島では徳島の生活もあったんですよね。そこに私はいなかった。


もちろん間違いじゃないと思ってます。でも、なんかこう、ふとなにしてたんだろうなと。

本当に、この写真に写る時間すら私にはなかったのかと。



そして祖父母の死は同時に、先祖代々のお墓や使っていない土地、空き家の問題をもってきました。


それまでは現実味のないどこか遠い未来で考えればよい話しだったのが現実味を帯びてきました。しかし、私は東京で生活しています。

この問題は私にとっていつしか負債だと考えるようになりました。


しかし、仕事では本当のバリューは?相対的な価値とは?顧客の中に隠れる本当のインサイトは?常に疑いながら自問自答を繰り返して仮説や行動を起こします。


なのに、なぜ負債だと思考停止して決めつけてしまったのでしょうか。

本当に考えたのでしょうか?やれることをやったのでしょうか。


本当は価値があるのに・・・と思うものは世の中に認めてほしいし、その対価を得てほしい。そう思ってこの数十年仕事していたのではなかったでしょうか。



蕎麦の力


試行錯誤を繰り返して始めた蕎麦事業。

半年であの耕作放棄地に真っ白なソバの花が咲きました。



蕎麦は耕作放棄地のような痩せた土地でもしっかりと育ちます。これは蕎麦の力です。調べれば調べるほど、育てれば育てるほど蕎麦の不思議な魅了に取りつかれていきます。


そして、私たちは完全無農薬、有機肥料のみで作られたオーガニック蕎麦。そして機械を使わず全ての工程を人間の手で行っています。


まぁかっこつけて言いましたが機械を買うお金がないので、人間の手でやるしかなかったというのがあるんですけどね。

みんな「機械が欲しい」が口癖だったのですが、なにせ人間の手だけで収穫から製粉を行うと香りや味が全然違うのです。


この土地は親父が小さい頃の遊び場だったようです。祖父母が畑仕事をしている横で遊んでたのでしょうね。そして今は親父や私たち兄弟がその土地で蕎麦を育てるチャレンジをしている。こうやって人や土地が紡いでいくのですね。


この体験はお金では買えない価値でした。しかしこの価値は個人に属する価値のため、相対的な価値にはまだ昇華しきれていません。

今後、この価値がみなさまに届くことをミッションに掲げ、試行錯誤してまいります。




APPENDIX

●耕作放棄地だった頃



●開墾中



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